【陣(^-^)】ヘルパー2級を取得して心底よかったと思いました。-三幸福祉カレッジ

名古屋校からのお知らせ

2018.02.11その他
【陣(^-^)】ヘルパー2級を取得して心底よかったと思いました。

おはようございます。陣内です。

私は、19歳の時に父親に勘当されました。

カナダに留学することが決定していたのですが

お腹には赤ちゃんがいました。

父は、カナダの一軒家に住んでいました。

 

母に相談したら「うみなさい」といわれ「父のことはどうにかする」

といってくれました。

 

そこで私は母の母(祖母)の家にかくまわれることになりました。

 

社会にでたことがない、右も左もわからない私を祖母は受け入れてくれました。

 

お腹には赤ちゃんがいたこともあり私自身、路頭に迷い情緒不安定でした。

 

しかし、いつも祖母は、手作りの料理を朝早くからつくってくれ

私が寝静まると寝るという生活をしてくださいました。

 

私は相当我儘だったもので、今振り返っても「ほんとうに悪いことをした」

としか記憶にありません。

 

しかし、祖母は一度も私を咎めず、いつも笑って

私のどんな我儘でも聞いてくれていました。

 

頭の痛い時は、病院にいけずと、

こめかみに「梅干しのつぶしたの」を貼ってくれました。

暑い夏で遠くから、ハッケヨイヨイと相撲の中継の音がかすかに聞こえていたときです。

 

いつか恩返ししたいと 思っていたものの今日まで来てしまいました。

あれから30年も経っていました。

 

娘二人は 祖母に育てられたのも同然で

私は出産後も自由気ままな性格で海外に一人でいってしまうような奔放な生活をしていました。

 

昨日も娘から「おばあちゃんの調子がおかしい」

と連絡があり見に行きました。

 

仏さまになってしまったのかと思うほど姿が変わり果てていました。

ほんの7日間でです。

 

ここで、落ちついて対処できたのは

紛れもなく6年前に受けた「ヘルパー2級」の資格でした。

介護現場で働くこともなくただ持っていただけでした。

 

祖母の脈はすでに不整脈でした。

「おちついて」と自分に言い聞かせながら、すぐに救急車を呼びました。

 

 

祖母は点滴を打ち始めると話だし、記憶は19歳の頃のバスガールの記憶で、

「30人降りましたか?」「次は何の曲にしましょうか」と口ずさんでいました。

 

不思議なことに意識が回復して最初にいったことは

「トイレに行きたい」といったことです。

 

病院の方は、ベッドでと尿瓶をもってきてくれるといいましたが

すでに立てれない祖母をトイレ介助しようと思いました。

トイレ介助していいかと確認したら「よい」といってくれたので

6年前の習ったことをそのままやってみました。

ベッドから、車いすの介助

車いすからトイレまでの移動

トイレから便器までの移乗

ズボンの上げ下ろし

 

・・・・立てれない人をどうやってトイレ介助するかというのを

トイレの中で何分も考えました。

 

用をすませた時に

「近くにすんでいてくれてよかった」

手を洗った時に

「あたたかい、とても気持ち良い」と拝んでいました。

 

微力ながらも恩を返せました。

 

昨日ほど、介護の勉強をしていてよかった、

先生たちの顔が走馬灯のようにうかび

そして今までかかわっている就職者の方たちの尊敬の念、

本当にありがとうございます。

 

 

 

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